
レトロな町並み、歴史、文化、明智光秀に興味がある方にオススメ。
岐阜県恵那市にある「日本大正村」の魅力について
レトロモダンな町並みや歴史など情緒あふれる町を実際に訪れた時のレポートです!
訪れたのは、2025年2月23日(日)
激動の時代「大正時代」
「大正時代」といえばは明治の後、昭和の前の時代(1912~1926)
大正天皇が即位された1912年(明治45年/大正元年)7月から1926年(大正15年)12月までを指します。
時代区分としては日本の歴史上最も短く、15年間のみ。
大正時代の日本
明治時代の政策「富国強兵」と「殖産興業(造船・製糸・紡績などの産業)」で一定の成功を収めたことにより日本は西洋列強に及ぶ国力を持ち「国の安定期」に突入。
大正時代には「大正ロマン」と称される風潮が誕生。
町並みや人々の服装も「モダン」・「ハイカラ」になりました。
食事もオムレツ、コロッケ、ハヤシライスなど洋食も普及していきました。
様々な社会運動が活発化し、「大正デモクラシー」が起こる。
1914年(大正3年)には「第一次世界大戦」、1923年(大正12年)には「関東大震災」が起こる。
1925年(大正14年)には、「普通選挙法」制定など。
15年という短いながらも、急成長と挫折、復興と激動の時代だったことが分かります。
レトロモダンな町並みを散策♪「日本大正村」の魅力
明治と昭和の間のわずか15年の激動の大正時代。
「日本大正村」のある明智町は、明治から大正にかけて生糸の生産地として栄えました。
「日本大正村」は、その大正時代のたたずまいをそのまま保存した町並みが魅力!
町並みや様々な展示を通して、当時の生活の様子など「大正ロマン」に触れることか出来ます。

↑スタート地点は、こちらの「浪漫亭」 レトロモダンな建物が見えてきます。
お土産品、食事処があります。
蓄音機など大正時代の珍しい品も展示してあります。

当時の「蓄音機」♪などレトロなものも見られます。


↑大正村駐車場(無料)があります。広い駐車場でトイレもあります。
大正路地
日本大正村の町をゆっくりと歩いていると目にするのが、今もなお残る大正時代のたたずまい。

年貢米を納めた米蔵と、江戸時代か続く呉服屋の蔵に挟まれた路地。
黒と白のコントラストが粋でカッコイイ!
黒い羽目板は、桟を外すと防火壁の役目を果たしました。

大正村役場
明治39年、町庁舎として建てられた建物。
平成11年文化庁より「登録有形文化財」に指定、平成27年「恵那市景観重要建造物」の指定を受けました。
瓦葺き寄せ棟造りの2階建ての木造洋館は、当時としては超モダンなものでした。
石門の街灯もお洒落。レトロモダンでハイカラな役場です。
昭和32年まで町役場として使われていたそうです。

大正ロマン館
大正時代のモダンな造りの洋館で、初代日本大正村村長「高峰三枝子氏」同村議会議長「春日野清隆氏」の記念館。
大正時代のヨーロッパの家具や、オルゴールなどが展示されているそうです。
バラ園もあり、季節には美しいバラと建物と一緒に写真を撮るのもオススメです。

旧三宅家
300年を超える歴史のある旧宅です。
恵那市指定文化財に指定されています。


大正村資料館・大正の館
明治末期の建築。当時の暮らしを感じられる資料などが展示されています。
手前に「銀行蔵」。南側に「大正の館」があります。
大正の館
この地の名門橋本邸跡。当初米穀商を営み、のちに医院を開業。
大正、昭和と80余年の名家の生活がしのばれる重厚なたたずまい。
銀行蔵
農家から預かったり、買い取った繭を収納するための銀行の蔵でした。
生糸の町の名残りです。恵那市文化財に指定されています。


大正時代館・喫茶天久
当時の暮らしぶりなどが分かる生活道具を用いた情景展示や、新聞やレトロなポスターなど、さまざまな展示があります。


カフェー天久
大正時代館のお隣には、歴史のある喫茶店があります。
その名も「カフェー天久」!
「大正末期から昭和初期に多くの文化人の間に名を馳せた」とあります。
通信資料館(旧郵便局)
明治8年に開局、明治30年には電信業務も兼ねたというこの地方での郵政業務の草分け的存在。


資料館の中には、さまざまな展示品があります。
レトロな電話機、懐かしいポストの模型がかわいいです。
見たこともない、珍しいものもありました。
交換局で使われていた電話交換機など時代を感じる展示が面白いです!


現在の郵便局もオシャレ!!

十六銀行も大正村の景観に合わせて、赤レンガのような造りになっています。
どこか懐かしい哀愁漂うノスタルジックな町並み!
大正時代にタイムスリップ!
どこか別世界に迷い込んでしまったような?
なんだ、ここは??不思議な感覚です!
まさに、大正時代にタイムスリップしたような気分に♪

路地を歩いていたら、昔懐かしい面影のある通り来ました。

その名も「うかれ横丁」♪
中馬街道 うかれ横丁
この路地は、中馬街道の一部で生糸生産の盛んな頃は、旅人や馬子を相手に酒やうどんを売る店が並んでいたそうです。
「うかれ横丁」!賑やかで楽しそうな♪
お酒を飲みながら、”うかれ気分”で陽気に歩く人々の姿が思い浮かびます♪

↑道路を跨ぐ渡り廊下がある家があります。
生糸の生産が全盛期の頃、この辺りはたいへん賑わっていて、芸妓置屋から料亭に通うための渡り廊下が現在も残っています。
ノスタルジックで、儚げ、どこか哀愁漂う町並みは、往時をしのばせるものがあります。

↑木の立て看板に消えかかった字で、おそらく「名物 五平餅、コーヒー、山菜そば、アイスクリーム」とメニューが書いてあります。
「伝説のカフェ アミー」の看板も。
こちらの建物は、もとは明治40年に開業の割烹旅館でした。

↑「カフェアミー」の表の入り口がこちらです。
大正時代の旅館の雰囲気を残しつつ、現在は喫茶店・バーとして営業されています。

こちらが「カフェアミー」の裏側です。表の入り口と繋がっています。
扉の上のステンドグラス「AMI アミー」の文字がレトロ&ポップで素敵です♪
「明智光秀」ゆかりの地
町を歩いていると、ここ明智町は「明智光秀ゆかりの地」とあります。


明智光秀の出生地は諸説あり?
明智光秀の出生地には諸説あり、謎があります。候補もいくつもあるようです。
そのうちの有力候補が明智町と可児のようです。
恵那市明智町説
子孫に「遠山の金さん」を持つ「明知遠山氏」ゆかりの地。
「遠山景行」と土岐明智氏の「明智光安」が同一人物と伝わるというもの?。
明智町には、光秀にまつわる史跡が数多く存在している。
「明知城址(白鷹城)」「光秀公産湯の井戸」や「光秀公学問所」の跡など。
※「明知城(白鷹城)」は、遠山明智氏の居城。
可児説
岐阜県可児市瀬田長山で光秀が出生したという説。
光秀は青年期を「明智壮」という荘園を拠点に暮らしていた。
「明智城址(明智長山城)」も残っている。
大正村で「明智光秀 ゆかりの地」を巡る
大正村の市街地からゆっくり徒歩で向かいます♪


所どころに案内標識があります。
速く到着されたい方などは、県道33号線脇の明知城跡駐車場(給食センター向かい)からも行けるようです。ここからのスタートだと山道を100m程登ると本丸跡に到着するようです。
恵那観光協会明知城(白鷹城)案内図
明知城跡
明智町の東側にそびえる標高530mの通称「城山」の頂上に位置する。
「白鷹城」とも呼ばれている。
明知城(白鷹城)は、遠山明智家の居城であった。
元亀元年(1570年)揖斐の武田氏の攻撃を受けて落城した。


明智光秀公学問所

万ヶ洞にある天神神社は、明智光秀公が若かりし頃、京都嵯峨天竜寺の雲水・勝恵という学僧を招き、ここで学問に精進したと言われています。
祭神は菅原道真公であり、京都北野の天満宮からの分祀と伝えられています。
恵那市公式観光サイト
お土産も面白い!
スタート地点の「浪漫亭」に戻ってきました。

こちらには、岐阜県のお土産などがたくさんあります。

光秀ぷりんや、戦国最中など明智光秀にちなんだお土産もあります。
東農地方でおなじみの「五平餅」の形をしたティッシュペーパー入れなど面白い物も♪

学校にあった「レモン石鹸」が懐かしい!!

何故か愛媛県の「いまばりマフラー」が!?
店員さんによると、「The Wonder500」認定商品のうち5品を展示しているのだそうです。
ここ恵那市は、「百年伝承味噌」が選ばれています。
前から「いまばりマフラー」は欲しいと思っていたのでこちらで購入できて良かったです♪

驚いたのは、レジ袋が手作り!新聞紙で上手に作られています!
しっかり持ち手もあり、有難いです。エコで環境にも優しいです♪
インパクト大!「極楽駅」
帰り道で見かけた、のどかな田園風景の中を走る一両編成の赤い電車!

縁起が良さそうな「極楽駅」!
恵那駅が起点の明知鉄道、恵那駅から5つ目の駅がここ「極楽駅」です。

なかなかユニークな駅名です。平安時代から室町時代にかけて近くにあった「極楽寺」というお寺が名前の由来だとか。
極楽駅ホームには、黄金の筋斗雲が赤い乗った駅舎、筋斗雲ベンチもあり面白い駅です。
駅に駐車場は無いので近くで見たい方は、スーパーマーケットバローで少しお買い物をして、車を停めさせてもらうのがいいかも。
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